あなたは、神様に用いられたいと思っているでしょうか?
自分の賜物を用いて神様のお役に立ちたいという願いがあることは、自然なことです。そして、それはとても素晴らしいことです。
モーセもまた、そのような思いを抱いていたと思います。モーセは、エジプトの王子としてパロの娘に育てられました。しかし、イスラエル人としてのアイデンティティーを失うことなく、「いつか神様は、この奇遇な運命にある自分をお用いになるはずだ」と思っていたのではないでしょうか。
ところが、モーセは神様に用いられる準備が出来ていませんでした。それは、彼には手放さなければならないものがあったからです。
神様に用いられるために手放さなければならないものは、3つあります。
① 自己保身
② 自己理想
③ 自己卑下
あなたは、「そんなことは頭では分かっている。でも手放すことが出来ないからこそ難しいのだ」と思っているかもしれません。
もし、そうであれば、思い出して頂きたいのです。
父なる神様が、私たちを救うために手放されたものを。
今ある苦難や試練は、神様が私たちを「用いられる器」へと変えるため、手放さなければならないものをお示しになっているのかもしれません。
私たちが今日、御言葉によって探られ、握りしめているものを手放す信仰を持つことが出来ますように祈ります。
大串さんおぽえていてくださるか?の八巻です、
どこかで気がついていても手放さない物確かにありました。
ドキッとしました。
同じ意味の言葉を亡くなった小坂忠牧師からも聞いておりました。まさに間髪入れず大串さんからの言葉は神様からの言葉なのでしょうね、
重きって放す事ができるようにそして保身も卑下も全て神様に従える信仰を持たなくてはなりませんね。私は神様の奇跡を信じております。今の私は確かに保身です。生活のための保身です。神様が全てを放されたのは頭ではわかっても、やはりまだ駄目ですね。放せるように祈ります。ありがとうございました